不景気から得た教訓

新型コロナウィルスが多くの人の仕事や人生を奪っていく。

近所のうまい定食屋が店をたたんだ。ゲストハウスや旅館の倒産も耳にする。
仕事を失った人で溢れている。これからもっと増えるのだろう。

「6月までに6割の中小企業が倒産する」と予想する識者もいる。
リーマン・ショックを思い出さずにはいられない。

その当時の私はブラック企業に勤めており。
手取りは12万程度。ボーナスは年1回10万程度。借金もある。

はっきり言って日本の最下層に住まう私にとっては、
リーマン・ショックなんて無関係だと思っていた。

ここが地の底。
「何が起きてもこれ以上落ちる場所もないだろう」と。

ところが意外なところでリーマン・ショックの恐ろしさを垣間見ることになる。

いつもの休日。早朝5時。作業着に着替えて現場作業に向かう。
・・・・とても会社の給料だけでは生きていけなかった。

仕事終わりと休日は「日雇い労働」に出て日銭を稼がなければいけない。
そんな日々がもう何年も続いていた。

早朝に集合場所である無人のショッピングモールの駐車場に着くと。
馴染みの作業員たちと「・・・っす」「っす」と小声で挨拶を交わし合う。

タバコ。缶コーヒー。うつろな目。動かない口元。基本的に生気が無い。

いつもと変わらない見慣れた風景だが・・・

今日はどうも数が多い。
見知らぬ顔がいつもの倍はいる。

新顔だが・・・どこのだれだ・・・・?

「・・なんスかこの人たち?」と大将に尋ねると。

「工場関係の奴らだよ・・・仕事が欲しいんだと」

「えっ?」

リーマン・ショックはクソ田舎の産業をズタズタに破壊し
仕事を失った者で溢れかえっていた。

私が住む田舎町は工業地帯。
工場の他は田畑があるだけ。
工場で成り立っている。

この地域でほぼほぼ同時期に仕事を失った人の数は、
数千人にもなるだろうか?数万だったかもしれない。

わぁ。

工場から「派遣切り」された人も苦しいのはもちろんだが。
安定であるはずだった正社員も苦しくなった。

生産(ライン)を止めた町工場は社員にこんな宣言をした。

「ええっ・・いや・・・急にそう言われてもなぁ・・・?」

若い子はまだいいとして。
長年工場作業員だけをしてきた中年たちは困惑する。

「えっ・・?いまさらバイト?この歳で?」

中年男性が雇ってもらえるバイトは限られている。
それに昭和の男たちは多少の面子もあるようで・・・

「まわりの人にバイトしてるだなんてバレたくない」
と人前に出る接客業のようなことが嫌なんだそうだ。

だから人知れず働くことが出来る。
日雇い労働に人が集まってきたのだ。

「でも大将・・こんなに頭数がいても・・・」と古株のわたしは苦言を呈した。

ところが大将は「いや・・・困ったときはお互い様だ!!!」

そう言って余計な作業員をジャボジャボ雇ってしまった。

そういう気前の良さは嫌いじゃないが・・・・

現場作業は「人が多ければ楽になる」と言う単純なものでもない。

「作業できる空間」は限られているのだ。

むしろ未経験者が数いると邪魔になる。
人件費も無駄に高くなる。

ウチみたいな弱小会社にどれだけの人が救えるというのか・・・

仕事がわからない者たちに。
余計な仕事を与えるというのも大変だ。

私たちの仕事は端的に言うと「掃除」
糞尿・死骸・ゲロ・油・廃液。
なんだって片付ける。なんでもだ。金になるならね。

人が本当に嫌がる仕事こそが我々の生業だ。
不況ではあったが。
こういう末端の世界には「まだ」仕事がある。

なぜかって?

「金が無くてもやりたくない」
そう思われる仕事だからだよ。

新人たちには工業廃液に両足を突っ込んで。ザルを手に持ち。
中腰の状態で「ゴミをひたすら拾い続ける」という
比較的優しい仕事を与えることになった。

・・・私は10年ほど続けたが。
普通の人なら耐え難い仕事だ。

しかし工場作業員たちはさすが単純作業と悪臭に強い。
しっかりと仕事をこなしてくれた。

ここに働きにくるのは、
工場の社員や派遣社員だけじゃない。

ここで仕事を失った、
一人の日雇い労働者の話しをしよう。

薄暗く。どす黒い作業現場に、
真っ白い物体がゆらゆら動いている。

白髪・白髭・白肌のガリガリに痩せこけた初老の男性が、
うめき声をあげながら必死に働いている。

動いては休み。動いては休み。動いては休み。

「ぜーぜー」と息を吐き。ふらふらと歩く。

「だいじょうぶ?」と声をかけても。

「いい!あっちに行け!」と追い払われる。

・・・頑固な年寄りだ。

まぁ頭数は揃っているから。
少々休んでも。とやかく言うものはいない。

お金を与える口実に現場に呼んでいるようなものだ。
・・・・昔、うちの大将がお世話になった人らしい。

この男性は「車が無い!」「現場が分からん!」と言うので。
私が送り迎えをしていた・・・

いつもは古い平屋の軒先で電子コード? のようなものを編む? 内職をしている。
工業地帯ではよくある風景だ。近所の小さな町工場に卸すのだろう。

それがリーマン・ショックの影響で
仕事が減ってしまったらしい。

家には不釣り合いな機械がドンと置かれ(内職に使うらしいが)
さらに奥には奥様が寝てらっしゃる。

奥様は具合が悪く寝たきりで動けないそうだ。

まぁ・・・別にそれ以外のことはなにも知らないけど。
このじーさんにも守るものがあるってことは知っている。

「困ったときはお互い様」とはよくある臭いセリフ。

この仕事は最悪だけど。
この仕事があるから生きていける人もいる。

そうこうして昼頃に仕事が終わると。
日当がちゃんと支払われる。ニコニコ現金払い。

8000円~1万ちょいちょいってとこだが。
なかなか悪くない。

 

しかし・・・不思議に思ったのは
どこからこんなに人が集まってくるんだ?ということだ。
(求人誌で募集をかけているわけでもないのに)

作業が終わり。シャワーを浴びて。
事務所で事務処理をしていると。

体の大きな中年男性が「よぉ?大将いる?」と陽気に訪ねてきた。
潰れた耳。潰れた鼻。
まるで自衛官のようにも見えるが実は学校の先生。大将の友人である。

「実はよぉ・・大将に使ってほしい奴がいるんだけどさぁ・・」

・・・なるほどこういうことだったのかと驚いた。

つまりこの先生は自分の教え子(卒業生だと思うが)
仕事が見つからない子や仕事がなくなった子のために。
「ここで使ってもらえないか?」とお願いをしにわざわざやってきたのだ。

こういう人が次から次へと大将の元にやってくる。

教え子や仲間のため頭を下げる。
こういう人の姿には誰だって心うたれるものだ。

「おう!わかった!」と即答した大将も立派だった。

カビ臭い義理と人情だよ。
・・・・こうしてまた余計な作業員が増えていく。

これは小さな田舎の小さな現場の話しだけれど。
弱い者同士。互いに手を取り合い。仕事を分け合った。

そうして・・・・どうにかこうにか日銭を稼いで。

あの苦しい時期をみんなで生き延びた。

きっと今回のコロナによる不況でも。
こういう表には出てこない小さな思いやり。
小さな助け合いが今も世界中で起きていると思う。

では・・・・この後は?どうなったのか?
あのリーマン・ショックのその後・・・
景気が少し上向いて。いつもの日常が戻る頃。

ある作業員に仕事を頼んだ時、
こう言って断られることがあった。

「あの時はオレも仕事が無くて苦しかったのに
おまえらはオレに仕事をくれなかったじゃねーか!」

「・・・・・・・・えっ?」

私たちの会社はとても小さい。
助けを求めてくる全員は救えなかったんだ。

それでも少しでも現場を増やして。
人を増やして。お金がいきわたるようにした。

良かれと思って人を救うと。
救えなかった人から恨まれることもある。

・・・・では逆に救った彼らとはどうなったのか?
景気が上向くと元の仕事に戻る者。転職する者もいた。

そして彼らは・・・私たちと距離を置いた。

「人手が足りないから休日に現場に出てもらえんか?」

そういう助けを求める連絡をしても
手を貸してくれる者は一人もいなかった。

私たちの仕事はいわゆる3K(きつい・きたない・きけん)

手元にまともな仕事があるなら。
やりたくないと思うのが当然だろう。

もちろん誰も責めることはできないが。
あの時の自分が今の私を見つめている。

いまの私はあの頃と同じか。それ以上の苦境にあり。
仕事のほとんどを失って。貯金をすり潰す毎日を送っている。

これから時間はかかるだろうけど。
また少しずつ・・・状況は良くなっていくはずだ。

そしてこの苦境を乗り越えた時にわたしは。

手を差し伸べてくれなかった人を恨まず。
手を差し伸べてくれた人に恩を返せる人間でいられるだろうか?

著者 : ハルオサン

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